御根小屋

別名-  付近住所 岡山県高梁市内山下38 現在 高梁高等学校
2007/7/21 碑 案内板 アリ


 御根小屋は備中松山藩の藩主の居館であり、藩の政務を行う役所である。当藩では城が標高430mにあるため、平時の政庁として御城山の麓に造られたものである。北は臥牛山に接し、南は小高下谷川を堀に見立て、西は現JR伯備線で限られたほぼ三角形の地形で、その面積は約34000u。旧制高梁中学校(現在の県立高梁高校)は、その跡地に建てられており、石垣は御根小屋の原型を今に伝えている。
 創建年代は不明であるが、天正3年(1575)の兵乱で焼失した記録があることから、その歴史は、戦国時代まで遡ることができる。現在の姿は、江戸時代初期に代官の小堀遠州が再建をはかり、天和3年(1683)当時の藩主水谷勝宗により完成された。
 幕末の資料では、登城には惣門を経て御殿坂を登り、中門を通って御殿に至る。中門の北側に作事処(現テニスコート)がある。高梁川で運ばれた米などは川端町で陸揚げされ、御蔵坂を通って米蔵に、武具は一段高い石垣上にある武具蔵(現運動場)に保管されていたことが記載されている。
 備中松山城御根小屋跡は、平成3年4月に岡山県の史跡にしていされた。